HOME


 

橋本努の音楽エッセイ 第8回「民族の心を揺さぶった音の魔術師」

雑誌Actio 20102月号、23

 


 どうもゲーテは、ベートーヴェンの芸術に脅威を感じていたようだ。受け取った手紙にはいつも礼儀正しく返答していたゲーテなのに、ベートーヴェンにはなにも書いていない。黙殺こそが唯一の防波堤というわけだ。『新編ベートーヴェンの手紙(上・下)』(岩波文庫)を読むと、二人のドラマが垣間見られて面白い。例えばゲーテの友人で、中世美術の研究家ボアスレは、ゲーテとの会話を次のように克明に記している。

ゲーテは言う。「あれ[ベートーヴェン]は、すべてを抱擁しようと思っている。しかし、最も根元的なものを見失っている。それでいて一つ一つがとても美しいのだ。悪魔のしわざだと思いませんか。……奴は、死ぬか気狂いになるか、どっちかしかない。憐れむことなんかちっともないよ。……われわれを取りまいている世界が朽ち果ててしまわなければならぬものか、そして原初に戻ってしまうものなら、それがいつか、それから新しいものが生まれるものなのか、神のみぞ知るです!!」

 ゲーテは音楽に関しては保守的で、当時評判のツェルターの作品に親しんでいた。ところがそこに、ベッティーナ・ブレンターノという女性(ゲーテの恋人マクシミリアーネが嫁いだ夫とのあいだにもうけた娘)が現れて、彼女はベートーヴェンの偉大さを執拗に説いている。「わたくしは神聖な魔力というものがあって、それが精神の世界の基本をなしていると信じています。ベートーヴェンは彼の芸術にこの魔力を駆使しているのです。純粋な魔法、これがあの方があなた[ゲーテ]にお教えできるすべてです。」

 ベートーヴェンは貧しかった。生活必需品を買うためのお金にも困り、衣服は破れ、外見はルンペンのようだったという。小柄で醜(ぶ)男で、けれども風貌は見事で誇り高い。そんな孤高の芸術家が最も親しくなった人々は、地元ウィーンの市民ではなく、むしろチェコスロヴァキアやハンガリー出身の貴族や女性、あるいはスラブ系の貴族たちであった。西洋音楽の中心地たるウィーンに暮らしながら、ベートーヴェンは周辺的な地域で評価された。マージナルな境遇でもって、創造活動へと駆りたてられていた。

 他方でベートーヴェンは、フランス革命に抵抗する勢力と共にあった。当時のオーストリアは対仏戦争に破れ、国家の危機に立たされるが、すると支配層は、革命の担い手たるブルジョアジーの台頭を阻止し、古き善き民族意識を復興しようと企てた。その運動の一端を担いだのがベートーヴェンである。彼はウィーンに暮らす数百万人の人々と悲惨な生活を分かち合うべく、有名な交響曲第九番の合唱の語句に、フリートリッヒ・シラーの詩『歓喜によす』から「抱き合え、百万人の人々よ!この接吻を全世界に!」を据えている。このメッセージはたんなる友愛ではなく、民族復興という保守思想に根ざしていた。ベートーヴェンの芸術は、市民的でありながら、民族の復古をもくろむ。それが真にラディカルな創造となるのだ。いま小生の手元には、若きヴァイオリンの女神、ジャニン・ジャンセンによるヴァイオリン協奏曲がある(Janine Jansen, Beethoven Britten Violin Concertos, Decca, 2009)。これはipod時代の新しい演奏とも言われるが、こぼれる感情の襞を抑え、単純な形式のなかに自身の悪魔的な才能を閉じ込めたような好演だ。天に登る高域の音も、分厚くて鋭い。